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Savršeni krug パーフェクト サークル

ボスニア・ヘルツェゴビナ映画 (1997)

ボスニア内戦における1992~95年のサラエヴォ包囲の際の、戦闘行為自体ではなく、それに巻き込まれた人々の生きざまを描いたドラマ。包囲下のサラエヴォにあってドキュメンタリー映像を取り続けたアデミル・ケノヴィッチ(Ademir Kenović)が、1994年8月25日に起きた第2次マルカレ虐殺後のNATO介入後、内戦の終結が視野に入りかけた1995年3月29日のインタビューで、次期作品として『パーフェクト・サークル(完全な円)』の制作を表明し、具体的な構想を述べている。停戦が実現したのが同年10月なので、撮影開始はそれ以後であろう。映画のパンフレットには「包囲網をぬけて外国から機材調達をしたほか…狙撃から身を守るために軍隊に助力を」云々と書かれているが、撮影時期からしてこの記述は疑問である。しかし、映画のバックグラウンドとなっている廃墟と化した街の凄まじい映像は、撮影当時の姿である。だから、映画の中で再現される「狙撃兵通り」を渡る時の恐ろしさや、丘の上から町に加えられる砲撃の映像には、非常に強い迫真性がある。主役の詩人ハムザを演じるのはムスタファ・ナダレヴィッチ。それに、戦争孤児のアーディス役の9才のアルメディン・レレタ(Almedin Leleta)とケリム役の12才のアルミル・ポドドリッツア(Almir Podgorica)を加え、死と直面した極限状態での生活が、リアルに映像化されている。幾つか国際賞を獲得しているが、東京国際映画祭のグランプリと最優秀監督賞を受賞したことで、日本でも公開された。

1992年春過ぎ、サラエヴォ郊外の農村が、ユーゴスラビア人民軍兵士の襲撃を受け、少年2人が脱出に成功。7才(役柄の設定)の弟アーディスと、耳の聞こえない9才の兄のケリムだ。2人は、遠くに見えるサラエヴォに向かって逃走する。一方、有名な詩人のハムザは、アル中気味で、「自分が首を吊っている幻影」を見る風変わりな人物。ユーゴスラビア人民軍の攻撃を受けて、サラエヴォの建物が次々と破壊され、水道も止まって市民生活にも大きな支障が出る状況に危機感を抱いたハムザの妻は、娘を連れてサラエヴォを脱出した。妻と娘を見送り、酔っ払ったハムザがアパートに帰ると、2人の兄弟がもぐり込んでいた。ハムザは2人に同情し、市内に住んでいるはずの叔母さん探しを手伝ってやる。そして、叔母が負傷して病院に運ばれ、そこから赤十字によりドイツに搬送されたことを突きとめる。ハムザと2人の少年は、いつしか家族のようになっていく。そして、ドイツと連絡がつき、2人の子供を飛行機で運ぶ手はずが整う。しかし、空港に行くためには狙撃兵のいる滑走路を渡らないといけない。何とか、滑走路の手前にある廃墟まで辿り着いた時、不運が3人を襲う。映画の題名になっている「完全な円」は、複合的な意味をもつ隠喩だが、監督の最初のインタビューでは、完全な円とは、包囲されたサラエヴォの陥った「決着点がどこにもない絶望的な状況」を象徴したものだと述べている。

アルメディン・レレタ、アルミル・ポドドリッツアの2人は、難民キャンプにいた被災少年で、役柄にぴったりである。子役に担わされたこのような役柄は、見ていてあまりにも悲しい。同じボスニア内戦を扱った『ボスニアの青い空』では、主人公の戦争孤児の逞しさとしたたかさが安心感を与えてくれていたが、ここでは悲惨さしか伝わってこない。


あらすじ

雪で覆われた広い墓地の真ん中に1本生えた木。そこに詩人ハムザが首を吊って、母と話している〔内戦が始まってから、彼は常に首を吊る幻想に悩まされている~もしくは楽しんでいる〕。母:「夢で聞いたのは どんな歌だったの」。ハムザ:「母さん、それはね… 『僕には 家があった。今は、もうない』。その先はね… 『僕には、声も言葉もあった。今は、声も言葉もない。その、失くした声と、失くした言葉を使って、僕は 歌っている。亡くした家のことを』」。
  

セルビア人で結成されたユーゴスラビア人民軍の兵士が、突然村に襲いかかる。銃声に驚いたアーディスが目を覚まし、耳の聞こえない兄のケリスを起こす。そして、見つからないようベッドの下に隠れ(1枚目の写真)、靴も中に入れる。ずかずかと入りこんできた兵士が、隣の部屋に手榴弾を投げ込む。殺すことを目的とした容赦のない襲撃だ。2人は、隙を見て窓から抜け出し、眼下に見えるサラエヴォに向かって走り出す(2枚目の写真)。
  
  

次のシーンは、サラエヴォ市内。断水状態が続いているので、水の奪い合いが絶えない。将来を心配するハムザの妻は、町から出て行きたくて仕方がない。「カトリックの身分証を 手に入れてよ。名前はマルガリータがいいわ。姓は適当に考えて。写真もあるし、準備はできてるのに、どうして、あなた そんなに意地悪なの? 私を 離さない気でしょ。何て自分勝手なのよ! この ろくでなし!」。「お前が出て行けば、僕は平和になれる」。「じゃあ、身分証 手に入れてよ」。「マルガリータでいいんだな?」(1枚目の写真)。かくして、ハムザの妻と娘は、国際連合保護軍の保護下でサラエヴォから集団脱出するバスに乗り込むことができた。大勢の市民が見送る中、すし詰め状態のバスが何台も出発して行った(2枚目の写真)。
  
  

1人サラエヴォに取り残され、酔っ払ってアパートに帰るハムザ。ランプに火を点けると(電気は切れている)、室内が荒らされている。慎重に奥に入っていくと、子供が2人いる(1枚目の写真)。「ものすごく怖かったぞ!」と言って、「誰だ?」と訊く。小さい方が、「アーディス」と答える。「そっちは?」。黙っているので、「聞こえんのか?」。アーディスが、「耳が聞こえない」と答える。「なんで?」。「生まれつき」。「何て名だ?」。「ケリム」。そして、さらに、「どうやって入った?」。「窓から」。「なぜ ここへ?」。「無人だと思った」。一度は追い出そうとしたハムザだったが、アーディスの表情が気にかかり、「どこに住んでる?」と尋ねる。「どこにも」。「どこにもだと? 家族は? 誰と住んでる?」。「誰とも」。「誰か、いるはずだ」。「うん、アイーシャ叔母さん」。「どこにいる?」。「サラエヴォ」。「なぜ、そこに行かん?」。「見つけられないもん」。「家族の名前は 知らないか?」。「ヴァヒドヴィチ、ハミドヴィチとか 何とか」。結局、ケリムが紙に「BISTRI」と書いて、ビーストリックだということが分かり、明日、そこまで行って訊いてみることにする。
  
  
  

翌朝、ハムザの隣人マルコと娘が、2人の目覚めたところにやってくる。親切なマルコが、「一緒に行こうか?」と申し出るが、ハムザは「爆弾があり過ぎる。1人で行く」と断る。そして、3人で出発。すぐに、アーディスが、「さっきの人 何?」と訊く。「誰、マルコのことか?」。「マルコって名前? それってヤバくない? セルビアの名前だよ。そうでしょ?」。「だから?」。「殺人者だ」。セルビア軍に包囲されたサラエヴォ市内にあって、セルビア人でありながら、ムスリム人と共に暮らし続け、そのためセルビア軍により殺害された人々もいたことは歴史的事実である。ハムザと2人の少年を最後まで支援する重要な役に、セルビア人マルコを配したのは、監督の気概であろう。3人は、雪の積もった坂道を上がって何とか叔母の住所まで辿り着いたが、そこにあったのは、爆撃で半分崩壊した家だった。唖然として見つめる子供達(1枚目の写真)。近づいていって、散乱した室内を見ていると(2枚目の写真)、隣に住む男性が声をかけてきた。ハムザが、叔母の名前を出して、どうなったか訊くと、「1ヶ月半ほど前、病院に運ばれてった」という返事。「どうして?」。「戦争さ。他にあるかね? 砲弾が 続けて2発 当たった」。「まだ入院中かな?」。「さあね。かなり重傷だった。救命センターで訊いたら?」と教えてくれる。
  
  

病院に行くには、広い道を横断しないといけない。狙撃される危険が大きい。ハムザは、「急げ。ここは、丸見えだ」と注意し、姿勢を低くして小走りに渡り、打ち捨てられた路面電車まで辿り着く(1枚目の写真)。その先には、廃車が重なっている場所があり、そこまでは安全地帯だが、その先の、路地の入口の部分だけは障害物がない。障害物の両側に人が溜まっている。狙撃兵が狙っているので危険なのだ。男が走って無事に渡り終えた後、2番目に渡り始めた女性が途中で撃たれてしまう。先にフックの付いたロープを投げ、女性を助けようとする人々(2枚目の写真)。写真の右端には、2人の子供も映っている。女性を無事回収した直後、今度は犬が渡り始め、また撃たれてしまう。それを見て思わず助けに飛び出したケリム。アーディスも後を追う。仕方なく、ハムザも決死の思いで道を渡る(3枚目の写真)。写真の左端には全地帯まで辿り着いたアーディスが、その右にはまだ狙撃される危険性のある場所に留まったままのケリムと犬が映っている。ハムザが押しているのは、飲み水を運ぶための小型自転車だ。ハムザは、「お前達、殺されたいのか?」と2人を怒鳴りつける。そして、「街での歩き方を覚えろ。どこを通り、どこで注意し、どこで走るか。一瞬で死ぬんだぞ」と教える。傷ついた犬を抱えたまま、病院に行くのは無理なので、アパートに戻る。
  
  
  

アパートに帰り着くと、マルコが、犬を台に乗せながら 子供達に話しかける(1枚目の写真)。「狙撃手がいたら、絶対3番目に行くなよ。奴らは、1人目で気付き、2人目で狙いをつけ、3人目を殺す」。「いつもそうなの?」。「たいていはな」。そして、娘に持って来させた白い布で犬の傷を巻いてやる(2枚目の写真)。もっと後になるが、マルコは、犬のために撃たれた後ろ脚を乗せる “歩行用の台車” も作ってやる。実に心優しい人物なのだ。2人は、応急手当をした犬を、部屋に運び入れ、ストーブの前で温めてやる。「薪が もうないよ。犬が 凍えちゃう」とアーディス(3枚目の写真)。「ないものはない」。「本があるよ」。「本を燃やす気はない」。「じゃあ靴は?」。「そりゃいい」。
  
  
  

靴を燃やすという名案を思いついたアーディスに、ハムザが「腹ぺこだろ?」と訊く。「もちろんさ」。「なぜ 黙ってた?」。「食べ物なんかないもん」。「どうして、そんなことが言える?」。「隅から隅まで探したから」。「ほんとか?」。「ぜったい」。「じゃあ、見てろよ。来るんだ」。そして、本棚まで行き、「魔法だぞ」と言って本の裏から缶詰を取り出して見せる。「かみさんは、万一のために隠してたが、ちゃんとお見通しさ。さもなきゃ、ガイガーカウンターが要る」。「何それ?」(1枚目の写真)。ハムザは、2個の缶詰を目に当て、「これがガイガーカウンターだ。ほら」と言って、回して見せる(2枚目の写真)。「だから、本には触らない」。それを見て笑う2人(3枚目の写真)。後ろでは、ケリムがハムザの真似をしている。その後、手に入れた缶詰で、楽しい食事をとったことはもちろんである。
  
  
  

その日は、昨夜と違い、娘の部屋に泊めてやる。ドアには真円を描いた紙が貼ってある。それ見てケリムがハムザを手で呼ぶ。「これか。手が引きつると、円を描くんだ。鉛筆を持って、こうする」と言って、手をぐるっと回して見せる。それだけでなく、テーブルの上で実際に描いて見せる。信じられないほど、きれいな真円だ(1枚目の写真)。感心するケリム。そして、いよいよ寝る時間。ロフト風のベッドが気に入ったアーディスが、「僕は屋根裏」と言って登ろうとする。それに気付いたケリムがアーディスを引きずり降ろす。そして、登れないよう階段をブロックする(2枚目の写真)。ハムザは、「今夜は君、明日は彼だ」と手で表現しようとするが、ケリムも手で何かを必死で伝えようとする。「何て言ってる?」と訊いても、アーディスは「さあ」と言葉をにごす。変だと思って問い詰めると、おねしょするからだと白状する。「その年で?」と訊くと、爆弾のせいだといい、何が何でもロフトに登ろうとする。結局、ビニール・シートを敷いて寝させることに。
  
  

翌日、病院を訪れた3人。調べてもたった結果、10月22日に手術が行われ、11月6日に赤十字の飛行機でフランクフルトに搬送されたことが判明する(1枚目の写真)。それを聞いて、叔母さんの所に行きたいと言い出すアーディス。看護婦は赤十字に相談するよう勧めた。アパートに戻った3人。その夜、ハムザは2人をしっかり防寒させた上で、光輝く宮殿に連れて行った。そこは、国際連合保護軍の拠点で、建物は自家発電で煌々と輝き、ワルツを踊っている多くの人影が見える(2・3枚目の写真)。悲惨な封鎖下の街との、あまりに大きな、現実とは思えないような格差。クリスマスという言葉が出てくるので、この場面は恐らく1992年の12月であろう。完全封鎖の7ヶ月半後、NATOが介入して停戦に漕ぎつけるまで、まだ3年弱もある。それまで何もせずに虐殺を看過してきた国連の怠慢を揶揄するかのようなシーンだ(当時の国連事務総長ブトロス・ブトロス=ガーリの責任大)。
  
  
  

明くる日の朝、砲撃が始まる。ハムザは寝ている2人をたたき起こし、地下室へ避難させる。地下室には、アパートの住民全員が集まっている。マルコの娘が、“耳が聞こえない” ことに興味をもち、アーディス経由でケリムに質問する。「聞こえないなら、怖くないわね」。「怖いて言ってる。肌で感じるんだって。空気も揺れるし。それに、みんなが走るから」(2枚目の写真)。「だけど、一発ごとに 飛び上がったりしないわ」。「もっと悪いってさ。何が起こってるか分からないから」。確かに戦争時の聴覚障害は不安なものだろう。この場面、娘の質問に対し、ケリムがすぐに身振りで反応する。以前のシーンでケリムに読話(読唇)ができないことが明らかなので、不自然に感じてしまう。
  
  

砲撃が終わり、赤十字まで行ってみた3人。我々には何もできないと言われ、すごすごと立ち去る。その後、かなりの人手で混み合う坂道を下る3人。そこは、一種のヤミ市と化している。持参したヘアドライヤーとタバコを交換するハムザ(1枚目の写真)。ヘアドライヤー1個で小さなタバコ1箱というのは割が合わない。「お肉の缶詰は?」とアーディスが訊くと、「ヘアドライヤー3個でも無理だな」との返事。その後、アパートに戻り、家捜しするが “かみさんが隠した食料” は見つからない。そこに妻の幻影が現れ、「便器の水槽のコーンビーフは?」と教えてくれる。恐らく、意識下の記憶が蘇ったのであろう。さっそくトイレ飛んで行き、水槽の中から袋に入った数個の缶詰を取り出すハムザ。嬉しさのあまり、袋から1個取り出すと、「ほら」と言って、コーンビーフなので、牛の真似をして「モー」とおどけてみせる(2枚目の写真)。そして、子供たちが来てから最初のシャワー。といっても、水は貴重品なので、大きなカップで湯を汲んで、1回2リットルほどのお湯を1人3回頭からかけるだけ(3枚目の写真)。ボスニア包囲の最中に市内に滞在した外国人の手記にも、体を洗う水が如何に入手困難だったかが書いてあるので、これはかなりの贅沢だ。
  
  
  

気分転換に市街地から離れた川辺まで2人を連れ、魚釣りに来たハムザ。脱出した家族のことを話し、最後に、「会いたいな。何と言っても家族なんだから」と話すと、すかさずアーディスが「じゃあ、僕たちは」と訊く。「そうだな… お荷物かな。いや冗談だ。1日中一緒だから、新しい家族かな」。ハムザにとって、2人の存在が非常に大きくなってきたことを示す重要な台詞である。その後、川辺に座りハムザとアーディスは釣り糸を垂れるが、何も釣れない(1枚目の写真)。一方、ケリムは手掴みで魚を獲ろうと川の中に入って行く。その時、狙撃兵の弾がケリムを掠めるが、耳が聞こえないため全く気付かない。ハムザが叫んでも、それも聞こえない。必死の手振りと、着弾する水しぶきで危険を悟ったケリムが、獲った魚を両手で握りしめて逃げ出す(2枚目の写真)。味方の警備兵2人が反撃してくれて、3人とも、安全地帯に逃げ込むことができた。セルビア軍の塹壕がそぐそばにあることに、全く気付かなかったのだ。当然、2人の兵士からは叱咤される。
  
  

アパートの中庭に残った1本の白樺が、長期にわたる包囲のうっぷん晴らしのためか住民によって切り倒され、それを見た老人がピストル自殺する。それが引き金となり、ハムザは泥酔し、幻影に襲われる。そして、アパートまで酔っ払って帰って来ると、入口の前の路上で逆立ちをしてわめき始める。「対空砲火だ! 丘が爆撃されてるぞ! 戦車が吹っ飛んだ!」「聞こえないのか? NATO軍が奴らの陣地を粉々にしてる。全部破壊したぞ!」「出て来いよ、お祝いだ!」。冷静なマルコは「入って来い」と言い、冷めたアーディスは「ぐでんぐでんだよ」と言うが、騙された老女が1人外に出て行き、「NATOはどこ?」と訊き、「ようこそ!」と両手を挙げる。その途端、砲弾がアパートの入口を直撃(1枚目の写真)。老女は即死、ハムザは酔いが覚めた。アパートには火が回り、ハムザの部屋も破壊されてしまう(2枚目の写真)。心配して見に来たマルコに対し、「子供達を助けないと」と決意する。
  
  

海外と無線交信のできる所まで行き、ドイツとの交信を頼むハムザ(1枚目の写真)。無線から声が聞こえてくる、「こっちは みんな元気だ。子供達をフラスニッツァまで連れてきてくれ。そこで、ディーノと会える。滑走路を横切る時 気をつけて」。フラスニッツァは、サラエヴォ市街から空港を挟んで反対側にある郊外の住宅地で、空港からは3キロほど離れている。そして、ディーノはヤミ屋だ。実に いい加減な話だ。しかし、それでも、ハムザとマルコは実行することにする。たまたま滑走路のすぐ手前に、かつてマルコの住んでいたアパート(今は廃墟)があり、地理に詳しいのだ。一緒に、自転車でそばまで行き、空港を遠望する2人。ちょうど飛行機が着陸したところだ(2枚目の写真の矢印)。
  
  

アーディスを肩車してアパートに向かいながら、ハムザが通信の結果を知らせてやる。「出発の準備だ」。「どうして」。「叔母さんと話した。治って、みんな君たちを待ってる」(実際には、無線に出たのは男性)。「荷物の用意だ。ドイツに行くぞ」。「何を? 何も持ってないよ」。「マルコの所で服を見つけて、リュックに食べ物を詰めよう」(ハムザの持ち物は燃えてなくなった)。「一緒に来る?」。「まず君たちだ。後で 合流する」。アーディスは、急に寂しくなり、「降ろして」と頼む。そして、街角の窪みに座り込んでうつむく(1枚目の写真)。「どうした? また 漏らしたのか?」と訊かれ、「違う」。そして泣き出す。ハムザはくすぐって元気付け、もう一度肩にかつぐと、「さあ、お祝いだ!」。その次のシーンでは、貴重な卵を2個 茹でている。そして、茹で上がった卵を丁寧にくるみ、パンやりんごと一緒にリュックに詰めている。住民全員からの心温まるカンパだ。そして、始まるダンス。それを壁に寄りかかって嬉しそうに見ている子供達(2枚目の写真)。アパートの入口の前で、全員の見送りを受けて、いざ出発。アーディスはマルコ、ケリムはハムザと一緒だ(3枚目の写真)。
  
  
  

下見は済んでいるので、順調に滑走路近くまで行き、自転車を降りる。すぐに塹壕に入り、姿勢を低くし、案内役のマルコを先頭に小走りに進む(1枚目の写真)。途中の廃墟で焚き火をしている老人に、信頼できる知人の居場所を尋ねるマルコ。そして、4人はさらに塹壕を通り、最前線にいる知人の所に辿り着く。この人物、その先にある廃墟のもと住民だ。屋根がなくなった3階建の廃墟が、防弾用の土嚢の隙間から見える。この建て物はマルコの住んでいた所でもあった。マルコは、「もう 何も残ってないな」とハムザに話す。ハムザは、「ここを 渡るなんて不可能だ」と言うが、マルコは「ここには誰もいない。ただ、走るだけさ」と気楽に答える。ハムザ:「丸見えだ。すぐ殺されるに決まってる」。知人:「行くんなら、今だ」。その進言を受けて、2人の子供と一緒に出発するマルコ。見送るハムザは、「さよならも言えんかった」と寂しそうだ。そして、隙間から廃墟に向かう3人を見ていると、そこに砲弾が2発着弾する(2枚目の写真)。誰もいないように見えて、実は厳重に見張られていたのだ。心配になったハムザは、狙撃されるのも構わず廃墟に直行し、3人の行方を捜し始める。しかし、無人のはずの廃墟には武装した敵兵が2人いる。身を潜めつつ3階に向かうが、そこで、目撃したのは、ケリムが兵士の1人を棒で叩き殺し、奪った銃でもう1人を撃ち殺す凄まじいシーンだ(3枚目の写真)。
  
  
  

ケリムを過激な行動に走らせたのは、弟アーディスの死だった。ケリムに案内されて、廃墟の1階に横たわるアーディスの死体を見舞うハムザ。顔を見合わせ、ケリムを慰める。ハムザはアーディスの死体を抱えて墓地まで行き、墓掘り人に埋めてもらう。立てられた木の墓碑に、ケリムは、「ADIS」と書き丸で囲んだ。そして、映画は、再びハムザの独白で終わる。「受け入れよう。そして静かに言おう。死は、僕からすべてを取り上げるだろうと。僕の肉も骨も、テーブルに置かれた鉛筆も、僕の知識と魂も、壁に架かった絵も、部屋を輝かせる音楽も、僕の涙と恐怖も、空気に漂う花粉も。そして、最後に訪れるのは、闇、闇、闇…」。
  
  
  
  

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